障害だけでなく、人を見る。障害者雇用に大切なこと。
2023年1月に厚生労働省は企業の障害者の法定雇用率を2.3%から段階的に引き上げ、2026年に2.7%にすることを決めました。これからの障害者雇用に大切なことは?9月の障害者雇用支援月間にあたって、会社が成長し続けるためにはダイバーシティ(多様性)が欠かせないと考える福岡トランス代表取締役の小海寛氏と、冬季パラリンピック金メダリストで電通総研副所長の大日方邦子氏が語り合いました。
仕事と競技の両立はハード

大日方福岡トランスは「総合物流会社」ということですが、どのような事業をされているのですか?

小海わが社は1949年に福岡県門司市(現北九州市門司区)で創業し、今は事業の大きな柱が二つあります。ひとつは「自動車メーカーへのパーツ物流」で、仕分けからピッキング、ライン投入までを手がけています。もうひとつの柱は「半導体製造装置の輸出梱包(こんぽう)業務」。装置を梱包して成田空港や北九州空港、博多港などへ届け、全世界へ輸出するサポートをしています。陸、海、空の輸送モードを組み合わせて、ワンストップで国内、国際物流を担えるのが当社の強み。170人の従業員(2023年9月現在)と共に楽しくチャレンジしています。大日方さんはパラリンピックのアルペンスキーで大活躍されたレジェンドです。なぜスキーを始められたのですか?

大日方3歳のときに交通事故に遭い、右足が義足で左足も歩きづらく、つえや車いすを使って生活しています。でも、子どもの頃からスポーツが好きで、特別支援学校ではなく地元の小学校に通い、いろいろなスポーツをしてきました。スキーと出合ったのは、高校2年のとき。スキーはブーツと板を履いて立って滑るものと思っていたのですが、座って滑るチェアスキーがあると知り、好奇心でやってみることに。生まれて初めて見た白銀の世界は夢のように美しく、一緒に滑った大学生たちと過ごす時間が楽しく、風を切る爽快感も初めての感覚で、一気にハマりました。

小海大日方さんは、98年の長野大会において冬季大会で日本人初の金メダルに輝き、パラリンピックで通算10個のメダルを獲得。18年平昌大会では日本選手団団長を務められました。仕事をしながらパラリンピックに出場したのですか?

大日方はい。今は専業のアスリートも増えていますが、当時は働きながらスポーツするのが当たり前でした。大学生のときにパラリンピックで挑戦を始めて、卒業後はNHKに就職。ディレクターとして番組を制作しながら、仕事の後や週末に車で2時間かけてスキー場に行って練習していました。

小海かなりハードですね。

大日方若いからできました。幸運なことに98年の長野で金メダルを獲得し、職場が私の存在を認識してくれるようになりました。

大日方小海さんの会社には、知的障害者の自転車競技選手、大谷春樹さんが所属されていますね。昨年の世界大会では、日本人で初めて優勝しました。雇用されたきっかけを教えてください。

小海私自身の趣味が縁でした。休日には自転車でツーリングなどをすることがあり、福岡のプロサイクリングチーム「VC FUKUOKA」の佐藤信哉監督と知り合いました。彼がパラサイクリングの日本代表コーチもしていて、山口県の合宿に私も参加。初めて自転車競技に障害者の方もいるのだと知りました。聴覚障害の選手や片足の選手など、さまざまな方が全力で競技に向かうパワーと迫力に非常に感動しました。そこで佐藤監督に、障害者雇用について相談したところ、チームに知的障害の選手がいて、たまたまわが社の山口事業所の近くに住んでいると。それが大谷くんとの出会いでした。本人とお父さんに「うちの会社で競技を続けながら働いてみませんか」と話したところ、トントン拍子で話が進み、23年1月に入社しました。

大日方自転車が結んだ縁なんですね。

小海そうなんです。大谷さんは6月、フランスの国際大会に日本代表選手として出場し、銀メダルを二つ獲得しました。

大日方フランスは自転車競技がとても盛んなので、その中で日本人が銀メダルというのは快挙ですね。

小海ヨーロッパの選手は手足が長くて体格が大きいのに、そこで結果を出せるのは、大谷くんの日頃の練習の成果に違いありません。お父さんとのマンツーマンの練習が実っています。

障害者雇用が会社にいい風を

大日方大谷さんは普段どんな仕事を担当しているのですか?

小海山口県美祢市にある拠点で、週2日、自動車部品を加工しています。大谷さんが入社したおかげで社内に、いい風が吹き始めました。作業については、私たちが当たり前のようにやってきたことでも彼にはできないことがあり、ちょっと工夫すればできるようになります。結果として、そのやり方のほうが楽にできたり効率が上がったりして、全体の改善につながっています。また、倉庫にはリフトがあるのですが、安全面の取り組みを強化しようと、明るい色のベストやセンサーを取り入れたことで、より安心して働ける環境になりました。大谷さんと仕事をする中で気づくことや学ぶことがとても多く、みんなにとってより良い職場づくりが進んでいます。

大日方コミュニケーションはどのように取っていますか?

小海大谷さんには知的障害がありますが、両親からは「他の人と同じように指導してください」と言われ、現場の社員にも伝えています。ここは仕事の場なので、彼のためにもその方がいいと思っています。変に気をつかうとかえって分かりにくくなるため、「これはやっちゃダメ」「こうしてください」と簡潔な言葉でストレートに伝えるように意識しています。

大日方それは大切な視点です。分かりやすい言葉で話すのは、例えば外国人と一緒に働く場合にも有効でしょう。

小海今、特定技能制度でベトナムから来た社員たちがいて、業務マニュアルを翻訳したり、映像や画像で作業の方法や注意点を伝えたりと工夫しているところです。さまざまな人が会社に入ってくれることで、新たな気付きがあります。誰にとっても働きやすい会社をつくりたいですね。

やりがいや働きがいが重要に

大日方大谷さんが大会で好成績を挙げると、社員の皆さんも喜ぶのでは。

小海大谷さんはわが社のヒーローです。世界大会でメダルを取る社員と一緒に働いていると思ったら、うれしくてテンションが上がりますよね。いきなりテレビや新聞などのマスコミが取材に来るようになって、社員も自分の外見を気にしたり、倉庫をきれいにしたり。社内の雰囲気が明るくなり、モチベーションも上がっています。

大日方ずいぶん良い影響が出ているのですね。

小海他の部門でも、特別支援学校の職場体験を積極的に受け入れるようになるなど、障害のある方や障害者雇用について、だんだん理解が広がっています。

大日方アスリートと会社員の両立を経験した私としては、大谷さんはやりがいや働きがいをすごく感じているように思います。職場で一緒に働いている仲間の応援は大きな力となり、仲間がいるからこそ頑張れるんです。それに、スポーツと仕事という二つの場があれば、どちらかが行き詰まっても違う場に身を置くことで救われて、打開する力が湧いてくる。複数のコミュニティーに属することで、人生は豊かになりますから。

小海大谷さんはかなりハードなトレーニングを積み重ねているので、仕事がリラックスできる場所になっているようで、楽しく働いています。彼にとってはどちらも大切な場となり、わが社で働くことが競技にもプラスになっているとうれしいです。

大日方福岡トランスはVC FUKUOKAや10月の「マイナビ ツール・ド・九州2023」のスポンサーになっています、どんな思いを込めていますか?

小海自転車競技は世界的にはメジャーですが、日本ではまだまだマイナーな存在です。わが社も中小企業で一般に知られていないので、なんだか境遇が似ているような気がして。なかなか日が当たらないのですが、少しでも自転車競技を盛り上げる力になれればいいなと思い、一生懸命応援しています。

知らなかった世界が広がる

大日方これまでも障害のある方と関わる機会があったのですか?

小海いえ、それが全くありませんでした。大谷さんとの偶然の出会いから学ぶことが多く、とてもありがたいですね。大日方さんは、特別支援学校ではなく一般の学校に通っていたと話されていましたが、子どもの頃から障害者の方と交流していたのでしょうか?

大日方私も周りに障害のある方がいなかったんですよ。高校生のときにチェアスキーを始めたら、それまで知らなかった世界が広がっていました。車いすで生活する人、義足で生活する人などいろんな方がいて、こういう価値観や暮らし方があるんだなと驚きました。私自身、障害者についてステレオタイプな思い込みがあったのかもしれません。いつもものすごく頑張って、自分をいわゆる健常者に合わせようとしていたけれど、もっと自然体で障害のことを伝えていいんだとか、みんな自由に恋愛しているんだとか、スポーツを通じてちょっと先輩のロールモデルに出合えたことは幸運でした。

小海障害のある方と交流が増えると、見える世界が変わりますね。

失敗を恐れずにチャレンジを

大日方福岡トランスは、障害者雇用以外にも、「性的少数者(LGBTQ+)」や「持続可能な開発目標(SDGs)」などの取り組みも、小海さんが先頭に立って積極的に進めているそうですね。

小海SDGsはハードルが高いイメージを持っていたのですが、しっかり話を聞くと、普段から考えていたことと重なっていました。「これはすでにできている」「これはやってみたい」という思いが出てきて、取り組みました。例えば、ダイバーシティについては、性別や年齢を問わず、マネジメントのスキルが高い人を管理職にして、適材適所で活躍できるようにしているところです。若い人でもどんどん起用して責任ある仕事を任せると、楽しんでやっています。失敗もあって当然です、私自身も失敗しながらやってきましたから。たとえ失敗しても、自分の信念や考えがあって進めた結果なら評価できるので、どんどんチャレンジしてほしいと伝えています。

大日方それは、働く人にとって安心ですね。前任者と同じようにしなければいけない、失敗しちゃいけないと怖がらず、のびのび挑戦できる環境は理想的だと思います。

小海今は一歩踏み出す勢いが必要で私がけん引していますが、踏み出した結果を受けて、後はみんなで進めてもらうつもりです。

障害の種別ではなく、
人柄とスキルを見る

大日方福岡トランスは、障害者雇用をどのように進める予定ですか?

小海国の雇用率にとらわれた採用ではなく、わが社で働いて活躍する仲間を迎えて、その方が自立するきっかけにしたいです。どんな方でも働く楽しさや、やりがいを感じると、活躍したいと思うでしょうから。

大日方本当に重要な視点です。企業の方から障害者雇用について相談を受けるとき、採用したい人のスキルや人柄ではなく、「どのような障害があるのか」という点を重視されるケースがあります。例えば、「知的障害がなくて、車いすに乗っていなくて、障害者手帳を持っている人がいたら紹介してほしい」などと要望されたことがあります。もちろん障害カテゴリーが気になることは分かりますが、どんな人にどんな仕事をしてほしいのかが先にきてほしいと思うんです。さらに非常に残念なのは、「むしろあまり働かなくてもいい」という方もいて。そんな職場に紹介したい人はいませんよね。それを理解してもらうために根気強くやり取りすることも大切だと思っています。

小海企業が義務で数合わせを始めると、人が見えなくなるのでしょうね。

大日方障害はひとつの個性なのに、「障害者」とひとくくりにしてしまうと、人が見えなくなってしまいます。例えば、障害者でなくても「能力はどうでもいいが、眼鏡をかけているからあなたを採用した」と言われたら、どう感じますか。もっと私のことを見てほしいと思いますよね。その点、小海さんは、大谷さんにしっかり向き合っているのが素晴らしいです。

小海ありがとうございます。これからも人を見て採用し、その方に合う仕事をマッチングしたり、合う仕事をつくり出したりすることが楽しみです。もっと新たな価値が生まれていくと期待しています。

大日方障害者雇用に楽しみや可能性を見いだされているのは、いいですね。一方で、ここが難しそうだと心配なことはありますか?

小海ハードルを感じたのは、数合わせをしなければいけないと思っていたときで、今はそんな考えがないので難しさや不安は特にありません。

九州はパラスポーツが
盛んであることを誇りに

大日方具体的にはどんな方を求めていますか?

小海SDGsの一環で耕作放棄地や食糧問題に関心があり、会社の近くで農業を始めました。近隣に特別支援学校や施設があるので、農業に関心のある方がいたら採用したいなとアプローチしています。

大日方電通グループには、障害者の雇用を促進する特例子会社「電通そらり」があります。清掃などいろいろな仕事がありますが、農園で育てた野菜を食堂で販売したり、カフェでおいしいコーヒーを提供したりして、身近な存在で愛されています。

小海あとは、スポーツでも文化的なことでも小さな趣味でも、プライベートで何か好きな活動をしている方と一緒に働きたいです。活動を応援することで私たちの世界も広がりますし、障害があってもなくても、社員には楽しく充実した人生を送ってほしいと願っています。

大日方障害のある方も仲間として受け入れて、期待して応援することが本人の働きがいにつながり、職場も改善されるという好循環が生まれていて、あるべき企業の姿ですね。障害の有無にかかわらず、人を財産として雇用するというスタンスに筋が通っていて、本質だと膝を打ちました。

小海国が示す数値目標ばかり気にすると人が見えなくなりがちですが、採用は決してゴールではありません。採用した方といかに高め合ってお互いにゴールを目指すかが重要ではないでしょうか。

大日方そうですね。九州は、北九州の車いすバスケット、飯塚の車いすテニス、大分の車いすマラソンなどパラスポーツが盛んな地域で、いい環境が整っているんですよ。ぜひ誇りに思っていただきつつ、障害者雇用にもしっかり取り組んでほしいです。

小海寛(こうみ・ひろし)

福岡トランス株式会社 代表取締役

1972年福岡県北九州市生まれ。2004年に福岡トランスへ入社。2009年より現職。趣味はトライアスロン、ロードバイク。

大日方邦子(おびなた・くにこ)

電通総研 副所長

1972年東京生まれ。3歳の時に交通事故により負傷。右足切断、左足にも障害が残る。高校2年の時にチェアスキーと出会い、スキーヤーとして歩み始める。1998年長野パラリンピックで、冬季大会で日本人初となる金メダルをはじめ、合計10個のメダルを獲得。2010年に選手を引退後、競技団体役員や審議会委員など、主にスポーツ、ダイバーシティ&インクルージョン、教育に関わる分野で社会活動を行う。大学卒業後、日本放送協会(NHK)に勤務し、教育分野やパラリンピック報道にディレクターとしてかかわる。2007年より、株式会社電通PRコンサルティング、2022年1月より現職。